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新聞でも社会欄や編集所感があるのだから・・と、作ってしまったのがこのコーナー。でもかなり独断と偏見が・・といったところでしょうか。皆さんはどうお感じになりますか??


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   お題        「ら」と「さ」のお話      平成15年3月25日版

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「ら」抜き言葉という言葉ができて早50年になるのだそうだ。最近の若者は..という往年の決まり文句が聞こえてきそうな気もするが、いわれ始めてそこそこの年月がたったわけである。確かに昨今この「ら」抜き言葉の使用方法は以前にもまして目を覆うものがある。「見れる」「食べれる」は当然のように使われているとしても、ひどいのが「あげれる」「来させれる」など、フツーに「ら」を入れた方が喋りやすいのではないかと思われるほど酷い使い方をする人がいる。先日自動車保険会社のテレビCMで考えさせられるものを見てしまった。「かえれる保険」というキャッチコピーだ。これは一見問題なさそうなのだが、これだけ「ら」抜き言葉が定着した昨今では複雑な事情が浮き彫りになる。まずそのCMでは、キャッチコピーばかりが全面に押し出されており、キャッチコピーにより商品が理解できるようになるという趣向である。しかし、「かえれる」と表現してしまうと、例えば事故を起こしても代替手段により家に「帰れる」のか、なにか期間の途中で保険契約を「変えられる」のかが全く分からないのだ。 こういった表現の受け取り間違いによるトラブルは全国的にみればそこそこ発生し始めているのではないか。ところが、ここへきて「さ」入れ言葉というのも発生し始めた。「さ」を入れる必要のないところへ無理矢理入れてしまうというものである。例えば、「頂かさせて頂きます」というのは典型的な「さ」入れ言葉である。本当は「頂かせて頂きます」。
良い悪いは別として、どうしてこんな現象が発生し始めたのだろうか。また、ら抜き言葉は昔からあるといっても、ここ最近加速し始めたのはなぜだろうか。事は複雑であり単純に物事はいうことはできないが、一つの可能性をあげるとすれば、小分け社会が進行したのではないだろうか。どういう事かといえば、以前は閉鎖された社会だとはいわれても年齢や地域を越えてそれなりの交流はあったし、それを裏付ける村があり町があった。しかし、昨今は携帯電話やインターネットの技術が進んだことにより、表面上はコミュニケーション範囲は広がったが、むしろいつも一緒にいる仲間とコミュニケーションをとっている時間が広がった。つまり他者や新しい人とつきあったり、話したりする時間が減ったのである。 このため、仲間で通じる言葉が進行し、地域や家庭などで上の代から伝承されてきた「言葉」に接する機会少なくなり、間違った言葉も訂正されなくなった。むしろ、この問題はマナーの低下などにも通じる話であると思う。
みんなが、いつでも仲良しグループと一緒に居る社会。嫌いな相手とは一緒に居なくていい社会。グループ分けされた小分け社会。ここからでた傷が「ら」抜き言葉であって、マナーの低下のであろう。最近ではテレビのアナウンサーまで平気で同様の間違いを犯す。若い世代が大きくなったとき、子供はどういう言葉を喋るのだろうか。若い世代がベースになる言葉を植え付け、ある一定以上の年齢に達すれば、また仲良しグループ言葉で体系づけられる。これの繰り返しになるのであろうか。
言葉は生きている。だから必ずしも古代の言葉を使う必要はないし、必要に応じて変えてもいい。しかし、国際化がどうの英語がどうのという前に自分の言葉がマトモにしゃべれないでどうするのか。基礎あっての応用である。正しい言葉ができてはじめて変形の言葉を使用できるのではないのか。

文責・針谷 允之

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