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すべての先生が...とは言わないし、かなり個人差があるのは事実。しかし、学校の先生。特に高校の先生に熱狂的に平和を主張したり、日本の過去の歴史を否定する方が多いような気がする。私の高校の時の先生もそうであった。政治経済のその先生は1年間を通して、日本の太平洋戦争におけるアジアへの迫害問題を教え続けた。中国へ渡り、国外持ち出し禁止の文献を決死の思いで持ち出し、それを資料として学習させるというものだった。私はこれらの教師に対して嫌悪感を持っている。 あらかじめ断りを入れさせてもらうと、私も戦争反対だし、決して過去の日本の戦争責任を否定している訳ではない。私が言いたいのは、これらの先生方が「極端な方向」に走りすぎている事に嫌悪感を持っているのだ。結局のところ、戦争を擁護する団体と正反対の事をやっているだけで、その急進性は全く違わないと思う。 広島県尾道市立高須小学校で民間から採用された校長が自殺する事件が発生した。これに関して同年4月11日の読売新聞によると国旗掲揚・国歌斉唱問題や西暦と元号の取り扱いなどで教師との間でトラブルがあったと報じられた。運動会のパンフレットとして生徒に配布されるプリントに国旗国歌の項目を書くか書かないか。また、西暦と元号のどちらを先に記載するか。このような問題が教職員との間で摩擦となって校長を苦しめていた。もちろん文科省から国旗国歌の推進を通達されている校長は国旗国歌の項目をプリントに記入し、元号も西暦に優先して記載するのが専らの方針であった。この騒動を一見みると、強引に国旗国歌法案を推進する国や文科省を批判する意見が出てきそうだが、ちょっとまって頂きたい。 そもそも日教組や教師の主張を正確に分析しているわけではないが、彼らは国旗国歌は軍事色豊かな時代に、軍事関係の中から生まれた背景や、戦争を推進する上で利用された天皇が深く関与している事に反対しているのだろうか。要するに天皇制は先の戦争を誘発する悪しきもので、これに関係する文化を次の世代に受け継ぐのは断固反対と言ったところだろうか。また、そういう文化を残すのは世界に面目が立たないと言いたいのだろうか。だから元号に反対、国旗国歌に反対なのだろうか。ちなみに元号に反対な割には西暦はなんの躊躇もなく使う。では、西暦を生み出した西洋文化は何をしてきたか。世界中を植民地にし、略奪をし、自国内までも魔女狩りと称して罪もない女性や子供たちを殺してきたのではなかったか。それに国旗にしても他国の国旗はその誕生過程で戦争や植民地、イデオロギーが深く関わっている場合が多い。国歌もそうだ。嫌なら新しい図案を掲げて、生活をかけて主張すればいい。何かをかえるということはそういうことだ。 そういう意味で、今回の事件は、自分の嫌いなもの、イケナイト思う文化や思想を封印すればいい「臭い物には蓋をしろ」という日本の伝統的発想にとらわれた末のトラブル、そして校長の死であったと思う。結局自分達の嫌いな「古い日本の思考」から抜け出せていないのだ。 私の個人的な考え方であるが、元号だろうが、国旗、国歌だろうが国民の大半が嫌でなければどんどん残せばいい。これらが戦争を引き起こすことなど絶対にない。逆に戦争を起こす時代背景がこれらを作り出したのだ。だから過去の遺産は残し、伝えるべきなのだ。残すには封印するのではなく、普段から使うことだ。それが一番効果的である。それに戦争を終わらせようと主張したのも天皇だったではないか。それに今は国民に和みを与えてくれる存在である。確かに戦後派天皇制に反対する力は必要だった。だが、今の社会で逆に踏みにじろうとする人間の方が、危険ではないか。教師は社会に出て、客観性を身につけた方がいい、今の教師は学生の延長線上の発想しか持ち合わせていない人が多すぎる。
文責・針谷 允之
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