もうすぐ台風の季節〜m(__)m

ちょこっと小論文

 

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新聞でも社会欄や編集所感があるのだから・・と、作ってしまったのがこのコーナー。でもかなり独断と偏見が・・といったところでしょうか。皆さんはどうお感じになりますか??


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いつの時代も女は強い。
フェミニストや女性の人権を訴える人の話を聞いていると、むしろ女性に失礼なのではないかと思えるような発言が多い。女性は歴史的に迫害されていたとか、自由な権利は無かったと唱える人たちだ。これは、とんでもない誤解であると同時に、失礼千万な話なのだ。

戦国時代の女性は確かに人質交換などの為に、政略結婚のネタにされていたことが多い。しかし、これは、女性に限ったことではなく、男子の子供が人質に差し出されるケースも多く、特に女性に限ったことではないのだ。しかも、人質に差し出すということは、人質に出したほうにも娘に対する情があるから、簡単に攻められないであろうという人情を使った戦略である。物として女性を扱っている訳ではないのだ。
しかも、織田信長のケースが面白くて、信長の側室に生駒吉乃という女性が居る。この女性は、政略結婚によって信長に召抱えられたわけであるが、彼女は若くして産後の肥立ちが悪く生家に戻った末に死去している。信長は清洲城の天守閣から生駒の方を見ながら夜な夜な涙を流していたという話が伝わっているのだ。
一方、下克上の代名詞、豊臣秀吉の妻におね(諸説に、ねね等)についていえば、彼女が14歳の頃に、自分より遥かに身分の下だった当時の秀吉と周りの反対を押し切って、恋愛結婚までしているのだ。それに加えて、秀吉の浮気を信長に相談したり、秀吉が関白になってからは、諸大名の前で、秀吉と尾張弁で大喧嘩をしていたりする。
今の時代劇では、そんな女性像は出てこないが、当時の女性は、大変に発言権をもっており、自分の判断で多くを動かすことが出来る女性が多かった。このおねに関して言えば、関が原の合戦後は、徳川家に保護され、石高まで与えられているのだ。豊臣家の根絶に動いていた徳川が、一人の女性にここまでやっているのだ。

時代は変わって、江戸時代はどうか。
江戸時代の女性もパワフルである。いり鉄砲に出女といい、表向きでは江戸を出る女性は厳しく取締りを受けていたが、裏では・・。実は、関所というのは主だった街道に設置されているが、その脇の山道を通って関所をスルーすることが可能であった。資料によれば、江戸の女性は、伊勢参りなどに、山道を通って普通に観光をしていたというのだ。実際に、落語などの口頭で伝わる話には沢山ある。
また、江戸時代に浮気する男性もたくさんいたが、女性も負けておらず、浮気をする女性が後を絶たなかった。当時、女性の浮気がバレれば打ち首獄門であったが、実際には、夫の方もそこまで訴えることはなく、お金で解決することがほとんどであったようだ。
幕末にも、女性だけの白虎隊のような部隊が結成されていたりと女性の活躍に関する話は枚挙に暇が無い。むしろ、歴史を教科書ではなく、当時の文献や落語、庶民の風刺がなどで勉強すると、いかに歴史上の女性が、生き生きとして活発であったかがわかってくるのだ。これを学ばずして、女性の身分が低かったというのは、当時の女性に失礼だろうと思う。また、おしんや明治時代の紡績工場の様に、女性の出稼ぎや身売りなどの話もあるが、当時は男女に関係なく貧しかったのだ。男の子も丁稚奉公などで辛い目にあったという話はたくさんある。

偏見を持たずに、歴史を学ぶべきである

文責・針谷 允之

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